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氷野杜涼一による創作日記っス。
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 現代の小学生がいかにデジタル化されてるのかがわかるアニメでス。

 ウソす。(笑)

 電脳空間を現実空間に侵食させたらどうなるか、という近未来の話でス。

 う~んス。

 思考実験的にはおもしろいスけど、政治とか経済とか社会内変化まで話は広がらんス。空間の電脳化の利用方法が小学生男女のちまちました攻防のみに用いられている点で、最近流行のファンタジーにおける「魔法」がデジタル化され、現代の子供たちにそのデジタル化された魔法を使用させたいがために、現実空間に電脳空間が侵入している特殊空間を設定した、と読み替えることができまス。しっかり「使い魔」キャラもいまス。

 ようするにジュブナイルす。メインテーマは女子小学生の内面でしょうかス。

 しかしス。

 デンスケがナイスす。(笑)

 ホームページはこちらス。 → 「電脳コイル」
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 さて、前回は「ビルドゥングスロマン」と呼ばれる構造である

 【究極構造①の①】

 『問題の発生 → (主人公などの精神的成長) → 問題の解決』

 を提示しました。

 これは「十二国記」(小野不由美 講談社X文庫)「千と千尋の神隠し」(宮崎駿 ブエナ・ビスタ・H・E)などありとあらゆるファンタジーで用いられているといっても過言ではない超基本構造です。これに気づかない人はいないでしょう。

 さて。今回は、この構造と併用されることも多く、同一バージョンとも呼べる構造なのですが、その前に。

 「実存主義」と呼ばれる哲学があります。

 キルケゴール、ニーチェに始まり、ヤスパース、ハイデガーらが展開し、サルトルなど著名な文学者もこの立場をとります。(サルトルと同時代人であるカミュの「異邦人」(新潮社)は実存主義に読めるのですが、カミュ本人が「異邦人」は実存主義ではないと明言してたらしいので、その弁を信じましょう。)

 この実存主義について簡単に言ってしまうのは無理なのですが、大いに無理して言ってしまうと、

 「存在は底なしのビンの底である」

 です。意味不明な方が多いでしょうけど、どういうことか知りたい方は勉強してみてください。

 アインシュタインの相対性理論と並び、現代に生きる我々の思考にすでに組み込まれている思想的原点のひとつです。

 ハイデガーと実存哲学への入門書として、僕の一番のオススメは『ハイデガー=存在神秘の哲学』(古東哲明 講談社新書)です。非常に情熱に満ち満ちていて好きです。はじめから『存在と時間』(ハイデガー ちくま学芸文庫)などを手に取ると瞬時に脳ミソが煮詰まると思います。

 あらゆる哲学書に共通しているのですが、抽象的言説でつづられた哲学の原書を最後まで理解しながら読むことは非常に困難です。一行一行を行きつ戻りつ全体と部分を考えながら読みすすめなければいけません。そのため解釈にかかる時間は文学の比ではありません。しかしながら、哲学者はまちがいなく美しい文章を書きます。言語的に洗練されたい方は触れてみてもよいかもしれません。意味は不明でも。(笑)

 「ブギーポップ」シリーズ(上遠野浩平 メディアワークス)では哲学からの外挿があった作品です。一作目「ブギーポップは笑わない」における弱者擁護の演説シーンはニーチェの言説の援用です。それゆえに「ブギー」は雑多なライトノベルにあってテーマ性において一線を画していたと思われます。

 (「テーマの重層化」などは、作品の濃度に活きてくるものなので、これもまたあとで論じてみたいと思います。)

 では、「貴種流離譚」などにみられる構造です。

 【究極構造①の②】

 『問題の発生 → (失われた状態の望ましい回復) → 問題の解決』



 (哲学って、世の中のあたりまえを水中から見上げる学問なので、水上をあたりまえに生きている人には必要ない学問ス。無用の用ス。なので僕はあたりまえに生きてないわけス。(笑))
 やばいス。おもしろいス。

 自画自賛は夢枕獏氏の専売特許じゃなかったス。(笑)

 自分の作品の「UNKNOWN WORLD」手直ししながら読んでるスけど、おもしろいス。

 でも、文章が水っぽいところが散見されるので、まだまだお見せできませんス。

 引き締めまス。脂肪を減らして骨と肉だけにしまス。がんばるス。応援よろしくス。



 序章だけ公開中ス。まだ未読の方はぜひぜひどうぞス。 → 氷野杜涼一の読書部屋

 感想の他にも、表現がわかりにくい箇所など教えていただければ感謝感激ス。手直スす。
 いつみても宮崎作品は発見がありまス。

 宮崎作品の中で対象年齢が高い作品ですが、主人公がブタであるがゆえに、大人向けの渋めな映画になりかねないのが、子供向けギャグとしてうまく回避されていまス。話の中にきちんとブタ化した理由づけがされているのがまたいいス。

 それにしてもギャグ満載だなぁ、この作品。(笑)

 寝言はさておきス。

 「紅の豚」で僕が一番好きなシーンは、戦闘挺を女性陣がよってたかって直すシーンす。

 宮崎駿氏の女性と労働者への畏敬の念が見てとれまス。フェミニストで元左翼ですからね。

 宮崎作品はのちのち別シリーズ『物語の構造分析』で詳しく分析・解説する予定ですが、全体を整える韻律(リズム)はあの最高傑作のひとつである「ルパン三世~カリオストロの城」からそれほど変わってないス。

 宮崎作品の韻律で書かれたライトノベルやアニメ映画は指折りかぞえてもすぐに5つは浮かびまス。この韻律に気づいていない人はあんまりいないと思いまス。

 それにしても「カリオストロの城」は数あるルパン作品のなかで、銭形警部の使い方がうまい唯一の作品ス。他のルパン映画は銭形警部をうまく使いこなせていないがゆえに、あまりおもしろくないと思われまス。おそらく製作者側も銭形警部の使い方がうまくいかないことは自覚しているはずでス。うまく使おうと思っても使い切れない存在なのが銭形警部なのだと思うス。(笑)
 気になった方はルパンと伯爵との対立軸などを元に銭形警部がどう動いているかを分析してみるといいと思うっス。かなりな勉強になると思うス。
 さて、前回は【究極構造①】『問題の発生 → 問題の解決』を提示しました。

 これは数学的にいえば公理でしょうか。

 今回はこの【究極構造①】にある定理をつけたしたいのですが、その前に。

 哲学用語に「予定調和」というものがあります。モナド論を唱えた哲学者ライプニッツの造語なのですが、つまりはじめから調和(うまく物事がまとまるようなこと)が予定(あらかじめ決められていること)されているような事象をさします。

 物語でいえば、ハッピーエンドや大団円などのことですね。

 逆に現代残酷物語であるノワールでは主人公の死をもって終わることもあります。

 マンガの少年誌でいえば、結局主人公が勝って終わる話ということになります。

 この予定調和を意識しはじめた当初、僕はマンガが読めなくなりました。

 どうせ主人公が巨悪を倒して勝って終わるというラストが読みはじめる前からミエミエになってしまったからです。

 いやほんとうに、抽象化は人生を貧しくしますね。 (笑)

 では。ビルドゥングスロマン(成長物語)とよばれる構造です。

 【究極構造①の①】

 『問題の発生 → (主人公などの精神的成長) → 問題の解決』



 (ちかぢか具体的な物語を分析していく予定ス。おたのしみにス。)
 思考実験であるSFには、リライト・リメイクされる作品が数多くあるっス。

 なぜならば、その時代時代で知識や機器は異なるわけで、その思考実験的な対応可能性も異なるわけス。

 僕が読んだ範疇よかった作品は、SFの古典的名著『宇宙のランデブー』(アーサー・C・クラーク著 南山宏訳 早川書房)の系譜に属する『太陽の簒奪者』(野尻抱介著 早川書房)や、タイトルにあげたあのSF界の大巨星・小松左京氏の大ベストセラーの映画版『日本沈没』(小学館文庫)ス。

(余談ス。左京氏の『果しなき流れの果に』(角川春樹事務所)は僕の好きな書籍ナンバーワンのひとつですし、ライトノベルも手がける野尻氏の『太陽の簒奪者』は僕にSFの効用であるセンスオブワンダーをまざまざと実感させてくれた作品でス。)

 で、ス。

 SFって思考を実際から逸脱させることで文学たり得ているのですが、世界を変えていく人たちはその世界から逸脱しようとする遺伝子をもっているのだと思いまス。

 発明家や企業家なんかは、思考し超現実を求め、その現実からの逸脱の精神が結実し、現実に変化をもたらしているように思えるス。

 もちろん、数多くの逸脱者のごくごく一部のみが、世界を変えうるのでしょうけれどス。

 遥か古代より、生命は外へ外へと向かって来ましたス。

 海から陸へ。陸から空へ。空から宇宙へ。とス。

 逸脱する意志は、そうして受け継がれてきたのかもしれないス。

 逸脱者は世界が次に向かうために必要な存在なのかもしれないス。
 物語の構造分析をやります。

 このブログはこの物語の構造の抽出をするために書かれはじめました。たぶん…。

 構造というのは帰納された抽象的な語彙のみで表現されるものなので、小中学生のみなさんにはやや難解かと思います。

 哲学者キルケゴールは言いました。

 「抽象化は人生を貧しくする。」

 まさにそのとおり。抽象的な思考で生きる人生は貧しいものです。

 なので僕の人生は貧しいです。(笑)

 人生は演繹の底辺である具体でのみ生きるべきものです。

 そこのところはぜひ注意しましょう。

 ですが。

 作家に属する方々は、この帰納(抽象化)と演繹(具体化)を自在かつ柔軟に行うことで、物語をつむいでいるはずなのです。

 ではさっそく。

 【究極構造①】  『問題の発生 → 問題の解決』



 (このシリーズはぜひともマジメくん文章ス。許すス。)

 極意③ 「イメージ喚起力」ス。

 ライトノベルはマンガアニメ的リアリズムを基調とするジャンルす。

 僕が描写でとくに気をつけたいのは、以下の三つでス。たぶん…。

 ①五感

 ②場の雰囲気

 ③セリフと動作

 HPにて対霊シリーズ「UNKNOWN WORLD」改訂版を掲載しましたス。

 序章だけだけど公開しまス。

 ちょっと妖しい雰囲気満載にしてみましたス。

 9ページなので、お時間ある人はぜひぜひ読んでみてくださいス。

 もっともっとブラッシュアップしたいと思いまス。

 感想よろしくお願いしまスス。

 「萌え」という奇妙な用語がありまス。

 いまや「ヲタク」とならび日本文化を代表し、海外メディアでもとりあげられるこの「萌え」ス。

 この「萌え」市場は2兆円規模とさえいわれています。(「萌え萌えジャパン」堀田純司著 講談社

 もしかしなくてもライトノベルには欠かせない要素のひとつとなっているス。

 でも、僕はあんまり好きじゃないス。

 なぜならばス。

 ライトノベルにありがちなのは、虚弱なフツーの男の子主人公をたくましく守り、優しく取り囲み、ずっとそばにいて、かまってくれるし、決して裏切らず、「キモイよ、お前」とか現実に目覚めさせてくれる言葉を投げかけることもない、男子が考える男子のためだけの男子による非常に都合のよい、時にワイセツ要素を多分に含む、リアリティに欠ける存在が多いからス。

 しかし、いまや日本サブカルチャーの代表的用語となってしまった、この「萌え」は考えなければならないス。

 ほどほどにがんばってみまス…。はまったときはそのときス…。(笑)
 ここ数年のことス。

 文学、哲学から心理学、政治経済金融、歴史に社会学、さらには数学、物理と諸学問を横断してきたス。

 趣味と同時に小説のネタ探しス。

 でも、そろそろアカデミックを離れ、サブカルチャーに舞い戻りス。

 マンガ、アニメ、ゲームなど物語を充填していくス。
 最近読んでいる本にジョージ・R・R・マーティン氏の「氷と炎の歌」シリーズがありまス。

 日本では、

 第1部『七王国の玉座』(文庫5冊既刊)

 第2部『王狼たちの戦記』(文庫5冊刊行中)

 
第3部『剣嵐の大地』(単行本3冊)

 まで刊行されている世界的傑作異世界戦記エピックファンタジーっス。

 この物語は主人公とさえ思えていた登場人物の死がつづきまス。さらに主要登場人物たちには過酷な運命が課せられてゆきまス。

 この悲劇の連続=大量死の方法は古くは『三国志』から最近では『バトルロワイアル』。アニメでは『ガンダム』シリーズなどがあげられまス。

 どちらも長らく人気を博しつづけているのは、誰しもご存知かと思いまス。

 人の死は読者を魅了するのス?

 「氷と炎の歌」について、詳しくは早川書房の特集ページをご覧くださいス。
 長らくゲージツについて論じてきたス。

 文学とか、モノづくりとか、詩作とかする人には「あの感じ」はわかってもらえると思うっス。

 「練りあげられた意思」というか、「表現したいもの」というか、とにもかくにも言語にて表現不可能な「あの感じ」でス。

 しかしス。
 
 極上のエンターテインメントは、やや「あの感じ」が薄くてよいのではないかと感じたっス。

 ロイス・マクマスター・ビジョルド女史の『チャリオンの影』上・下(創元推理文庫 鍛治靖子訳)を読んでそれを痛切に感じたっス。

 プロットに力点を置いて、あとは淡々とシーンを描写しているように感じられたス。

 要するに、一語一語の文章作りに意識の力点を置くか、全体の構成作りに意識の力点を置くかの差異だと思われるス。
 やはり、作家は「書き方」が大切で、作品は「書かれ方」が重要なのだと思いまス。

 内容ではなくてス。

 内容は副次的でよいのではないかという思いを強くしたっス。

 なにを書くにせよ「ここでこれを書く」という意識的作意を練りあげて、その想いをベースにしたうえで書くこと。

 問題は、その意識的作意を練りあげるには、いかにすればよいかス。

 僕は、日常生活をいかに意識的に生きているか、それに尽きるのだと思うっス。

 「これからこれをやる。そのあと、あれをやる」というような能動への意志ス。

 寝ること起きることから食事、仕事、勉強、趣味などなどス。

 「なんとなくテレビ…」とかは意識して避ける必要があるっス。

 そうっス。ここにゲージツの秘訣が隠されてる気がするっス。

 練りあげ力を磨くチャンスは至るところにあるっス。

 日々是ゲージツ訓練ス。
 小説の創作のスタートについてス。

 『ミステリーの書き方』(アメリカ探偵作家クラブ|L・リート編|大出健訳)より。

 【P.205】
 「……手直し作業が、たとえ実際の執筆作業と同じくらい恐ろしい作業に思えるにしても、それはそれだけのことだ。しかし、真に恐るべきは、作家が自分の作品の最後のページに「完」とタイプしたとき、本当にすべてが終わったと思い込みたがることなのである。作家の仕事はいわばこの「完」という一語を追い求め続けてきた仕事ともいえるので、ようやくそこにたどり着くと、文字どおりに受け取ってしまうのである。
  が、絶対にそうではない。「完」とはスタートにすぎないからである。

 僕の作品はほぼ第一稿ス

 手直しはちょちょいっと小手先でやっただけっス。

 自分の甘さが身にしみたっス。

 もっともっと自分の作品に愛と魂を込める必要があるス。

 「作品」は「自分」ともよく聞くっスから。

 これからは時間をかけて「自分」を練りあげて、ひとつの「作品」に焦点を絞って、楽しみながら創作に打ちこむっス。

 極意② 「丁寧な文章作り」っス。

 読み手の気持ちを考えた文章を作るという意味でス。

 僕が文章作りでとくに気をつけるのは、以下の三つでス。たぶん…。

 ①ストーリーよりも丁寧な文章

 ②美文よりも丁寧な文章

 ③ペダンチックよりも丁寧な文章

 村上隆氏の作品を見ていて思ったことっス。

 あの村上氏の生みだす作品の完成度にはクリエイター諸氏は驚嘆しなくてはいけないっス。

 なにかもう別格の完成度をもっているっス。

 イメージングするだけでカラダがむずむずするような、わらわらするような完成度をもっているっス。

 はりつめた緊張感がスキのない構図に隠されつつも、キャラクターとカラーに不思議と和まされてしまうというか、ほんわかココチイイ完成度っス。

 そんな作品の完成度をフタコトで言ってしまうと、「すべてがあり、むだはない」ということだと思うっス。

 デジタル的にいうところの「1」と「0」その両方を兼ね備えた完成度ということっス。

 いや。完成度というか「完成」っス。

 これっス。ここに創作の秘訣が隠されてる気がするっス。

 創作は「完成」をめざさなくてはいけないものなのっス。きっとそうっス。

 リンクに僕の過去の栄光が載っている【FANTASY Bookmark】さんのページを追加しまス。

 第7回スニーカー大賞最終選考候補でス。

 2002年ですから5年も昔でス。懐かしい…。

 渋谷のブックファースト1階の雑誌コーナーで角川書店のライトノベル雑誌「ザ・スニーカー」を開いたときのことは、いまもはっきりおぼえていまス。

 一次選考突破が目標だったので、見開きページ下段にずらりと並んだ一次選考突破者のなかに[氷野杜涼一 東京都]とあったことにまず喜び、同じページの最終選考候補の4作品へ視線を上げると、なんとでかでかと僕の作品『邪霊~ダークスピリット』のタイトルが4行くらいの短い解説文つきで載っかっていたのでス。

 その瞬間は驚いたなんてもんじゃなかったっス。

 血ののぼった赤い顔でレジへと行き、そのままブックファーストの前にある行きつけのカフェの2階で「ザ・スニーカー」を開いて、しばらくにんまりしていたはずでス。

 同期で奨励賞を受賞したマンガ家志望だった浅井ラボ君の作品は『されど罪人は竜と踊る』(角川スニーカー文庫)として、シリーズも数冊出てますし、いまも「ザ・スニーカー」で連載中でス。なんか嬉しいでス。これからもがんばってほしいでス。

 第7回スニーカー大賞最終選考候補作品『邪霊~ダークスピリット』は対霊シリーズとして、僕のホームページ「氷野杜涼一の読書部屋」で無料掲載してまス。PDFファイルでス。

 感想などいただければかなり嬉しいっス。

 浜崎あゆみさんのライブを見ていて思ったことっス。

 あの「浜崎あゆみ」という作品の完成度にはクリエイター諸氏は驚嘆しないといけないっス。

 彼女は「浜崎あゆみ」という一個の作品として、まれにみる完成度をもっていまス。

 「浜崎あゆみ」自身がでス。歌もすばらしいっスけど。

 クリエイティブに浜崎あゆみさんが「浜崎あゆみ」を創作している感じがしまス。

 創っているといってしまうと、なにやらいやらしい感じがしてしまうっス。

 けれども。

 アーティストとか芸能人の方々っていうのは、自分を一個の「芸術作品」まで昇華させた姿なのだと思うのでス。

 ははぁなるほどここに創作の秘訣が隠されている気がするっス。

 この自分とか作品を内面で練りあげる感じっス。

 練りあげれば練りあげるほど、きっといい作品になるんス。きっとそうっス。

 極意① 「読みやすいこと」っス。

 飾り気のあまりない平易な文章で書かれているという意味でス。

 僕が文章中でとくに気をつける点は、以下の三つでス。たぶん…。

 ①主語が文頭にくる。

 ②一文に動詞ひとつを目安。(あくまで好みの目安っス。)

  【△】颯音は飛び、妖風刀で悪霊を斬りつける。

  【○】颯音は飛んだ。妖風刀で悪霊を斬りつける。

 ③強調したい細部は、より正確に描写する。

 僕もライトノベルで育った人間でス。

 ライトノベルを書くにあたり、小説を読みはじめるときの、あのワクワク感ドキドキ感を大切にしないといけないと思いまス。

 これからどんな冒険がはじまり、どんな事件が起こり、そしてどんな結末を迎えるのか、どんどん読まずにはいられない、あの物語にひきずりこまれていく感覚でス。

 小説を読みはじめる10代の子供たちに、僕が昔味わったあの喜びに似た感覚を味わってほしいものだと思いまス。



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プロフィール
HN:
氷野杜涼一(ヒノトリョウイチ)
性別:
男性
趣味:
読書と創作
自己紹介:
 第7回スニーカー大賞最終選考候補者のひとり。
 目標は角川スニーカー文庫から本をだすこと。
 ライトノベル作家めざして鋭意創作中っス。
 気軽にコメントくださいっス。
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