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氷野杜涼一による創作日記っス。
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 現代の小学生がいかに都市伝説系の虚構に耽溺し、死んだからアッチ側に行けばいいから現実では勉強なんかしないでそこそこ楽しい生活を楽しめればいーよ、死んだら意識だけの存在になるんでしょ、と現実と虚構、現実とSF、つまり現実の艱難苦心こそが彼岸での救済につながるという宗教の本質的死生観との区別がついてないことがよくわかるアニメでス。

 意味不明ス。(笑)

 SFには人間の要素還元的な分理論(僕命名)がありまス。

 心身二元論にもとづく、肉体からの意識の分離はあまりにも有名ス。

 そもそも脳内の電気信号が意識であるならば、意識だけを分離してマイクロチップなどで管理が可能になり、(金さえあれば)クローン技術などで大量生産可能な肉体に宿すことで、個人が記憶を保ちつつ永遠に生きることができるわけス。

 科学的かつ論理的に整合性はつきまス。そこが逃避小説SFのすごいところなのでス。

 しかしながらス。

 脳科学の最先端にいる学者たちは、「意識(心)は脳にはない。別のところにある」とのたまいはじめていまス。

 脳を調べれば調べるほど「意識(心)が脳にあるとは思われない」という根拠薄弱な直感がその根拠らしいのでス。化学的作用が想念や感情をつくりだすというのは、やはり人間には受け入れがたいのでしょうかス。

 でもス。

 我々の存在自体が寝ている「なにか」の夢である可能性が反証不可能なのは哲学的命題としてあまりにも有名でス。

 そうなると、意識って現実次元とは別のところにあって、現実での死が、即虚無につながるという科学的な死生観も論理的かつ実際的に証明不可能となるワケで、ここのところに古典的な宗教的死生観=彼岸此岸説=つまりこっち側とあっち側がありますよ説の生き残るだけの論理が構築されるのでス。

 死んで起きたらまったく想像もつかない「別のなにか」となって目覚める可能性もまた否定できないわけス。

 ほほぅ…。(笑)

 それにしてもス。

 大昔から、死=意識が消えてなくなる=世界と同時に自分がいなくなる。

 これほどの恐怖はないのでしょう。

 古今東西において、死後の世界の大伽藍がつくりだされるのもわからなくはないでス。

 けれどもス。

 まったく逆に考えれば、生のまっとうによる自然死は、究極の快楽である可能性もあるわけですが、それは長くなるのでここでは論じませんス。

 最後にス。

 純然たる「意識の消失」なら僕たちだれもがほぼ毎日経験してるから、「睡眠」は「死」の予行演習なんじゃないスか?

 「あー。明日は朝はやいから、今日ははやく寝よう」

 =(イコール)

 「あー。明日ははやく復活しないといけないから、今日ははやく死のう」

 日本では「永眠」ともいいまスしね…。(笑)

 ホームページはこちら。 ⇒ アニメ「電脳コイル」
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プロフィール
HN:
氷野杜涼一(ヒノトリョウイチ)
性別:
男性
趣味:
読書と創作
自己紹介:
 第7回スニーカー大賞最終選考候補者のひとり。
 目標は角川スニーカー文庫から本をだすこと。
 ライトノベル作家めざして鋭意創作中っス。
 気軽にコメントくださいっス。
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